趣味「iPhoneアプリ開発」ってアリ?
最近になって、ようやく「趣味はiPhoneアプリ開発とラジコンカーです」と他の人に向かって言えるようになってきた。趣味の定義は人それぞれだが、自分の場合は「楽しいこと」「プライベートな時間でやること」「どこまでやるか自分が決めること」と考えている。
そこで、趣味「ラジコンカー」の楽しさから自己分析してみたい。楽しみの半分は、ひとりで黙々と組み上げてセッティングして練習走行することだ。モータースポーツで例えるならば、オーナー、スポンサー、監督、メカニック、ドライバーのひとり5役を大人の小遣いで堪能できる。しかも、事故っても死なない(心と懐は少し痛むが)。そして楽しみのもう半分は、一緒に同じ趣味を楽しむ仲間の存在である。一緒に買い物へ繰り出すもよし、サーキットでチキチキのバトルを繰り広げるもよし、大会でお互いに応援し合い、健闘を称え合うもよし。体感した人にしか伝わらないかもしれないが、本当に楽しいのだ。
では、趣味「iPhoneアプリ開発」の楽しさとは何か。あくまで自分の場合という前提で、その割合を列挙してみた。
「プログラミングの楽しさ」・・・50%
「自分が欲しいものを自ら作り、それを使う楽しさ」・・・40%
「他の人に使ってもらうことの楽しさ」・・・10%
・・・10%と低い部分は、まだユーザーの声を4、5人分しか聞いていないので、今後この数値が伸びればいいなと思う。割合の筆頭である「プログラミングの楽しさ」であるが、詳細は長くなりそうなので別の機会に述べることとして、ひとことで言うなら「できないこと・うまくいかないことができる・うまくいくようになる楽しさ」だと思う。特にiPhoneアプリ開発を始めたばかりの頃は、Objective-Cがよくわからない、iPhoneのデバイスやUIやAVFoundation等のフレームワークがよくわからない、Appleやオープンソースのサンプルコードを試してみてもうまくいかない、などなど立ちはだかる壁はいくらでもあった。その壁を、手にしたノミ1本(開発環境であるXcode)で、時間と執念をかけて少しずつ切り崩していく。また、その壁を効率的に崩すには「開発者向けドキュメント」「サンプルコード」「技術系ブログ・質問サイト」「開発者仲間」などの存在が必要不可欠だ。そうしていつしか、すべての壁が取り払われてアプリをリリースした瞬間、抑圧から解放されて、えも言われぬ達成感を噛み締めることができる。また、回り道をせず地道に積み重ねた経験は自らのスキルや自信となり、次の開発に活かすことができる。・・・ひとことで済まそうと思ったのに、思ったより長くなってしまった。申し訳ない・・・。
楽しさの40%を占める「自分が欲しいものを自ら作り、それを使う楽しさ」であるが、これは本当にシンプルで純粋な楽しさだ。ポイントは、その欲しいものが世の中に無かったということだ。iPhoneアプリの場合、欲しいアプリはAppStoreを探せばだいたい見つかるので、AppStoreは本当に素晴らしい。しかし、自分の要求がニッチだったりすると見つからないこともあったりする。そうすると、「ない→でも欲しい→作るor作ってもらう」という選択肢しかない。しかし、作るのも作ってもらうのも、実は結構大変なことがわかると、あきらめて他のもので代用する、ということも往々にしてあったりする。もし、そこであきらめられない「欲しいもの」があれば、それは有り体に言えば「キラーアプリ」「刺さるアプリ」に化ける可能性がある。それには、賭けてみる価値があると思う。苦労して作ったアプリが、たとえ自分にしか刺さらないアプリであったとしても、世の中にないものを作ったのだから、「人生で何かを遺した」と誇りを持てばいい。話が人生観にまで踏み込んでしまった感があるが、作る側の立場からすると、「世の中にないからといってあきらめられないほど欲しい」ぐらいのモチベーションが無いと完成まで作り続けることが難しいのではないかと思う。仕事ではなく趣味であり、金銭的なリターンが約束されていない以上、「本当に欲しいかどうか」は重要なファクターである。・・・話が少し逸れたが、欲しかったものを作って使うことは、純粋に楽しい。
以上、趣味「ラジコンカー」および「iPhoneアプリ開発」の楽しさについて自己分析してみたが、改めて何が楽しくてやってるのかがわかった気がする。冒頭で趣味の定義について触れたが、まずは楽しいかどうかが大事だと思う。次の目標を自分で決めて、プライベートな時間を惜しげも無く注ぎ込むのは「趣味」が「趣味」たる必要条件ではあるが、とにかく「楽しい」かどうか。これが大事。
趣味「iPhoneアプリ開発」、自分にとっては限りなく「アリ」だ。